6月に、日本芸術文化振興会主催の歌舞伎鑑賞教室に参加しました。
会場はサンパール荒川大ホール(荒川区民会館)、演目は『仮名手本忠臣蔵』より二幕三場です。
当日はDana Hall School(Boston)からの留学生も一緒に鑑賞し、日本の伝統文化を楽しみました。
音楽を選択している生徒は、歌舞伎の音について事前に学習し、“演目の中でどのように活かされていたか”
をテーマにレポートが課されましたが、その内容があまりにも素晴らしかったので、以下抜粋ですがご紹介します。
効果音として使われるツケも印象的だった。ツケは足音などを表現するために使われるが、簾の中からで鳴らすのではなく観客に近い舞台袖で行われていた。それにより、観客には自然な足音のように聞こえ、臨場感を生み出していた。特にイノシシが走る場面では、イノシシの走っている動きがすごかったのと、ツケのテンポと動きがぴったり合っていて、本当にイノシシが舞台上を走っているように感じられた。一方で、与市兵衛が茂みから出てきた手に襲われる場面では同じツケでもイノシシの音とは全く違う響き方をしており、見ている私も思わず怖くなった。同じ楽器や音でも使い方によって全く違う印象を与えられることが分かった。
(中略)会話の場面でも音楽は重要な役割を果たしていた。第6幕では人物同士が会話している後ろで三味線の音が淡々と流れていた。そのため会話のテンポがよく感じられ、言葉の間や沈黙も自然につながっていた。私はこれを見て、現代のバラエティ番組で話している人の後ろにBGMが流れていることを思い出した。BGMによって場面の雰囲気が伝わりやすくなったり間があっても聞きやすい点は、現代のテレビ番組にも受け継がれているのではないかと考えた。
(中略)音の高さや強弱による表現も印象的だった。同じ三味線でも、人物の入退場や怖い場面、緊迫した場面では力強く演奏されており、「今は注目する場面なのだ」ということが自然に伝わってきた。また、役者のセリフも高い声や低い声を使い分けており、感情の変化がよく表現されていた。特に「舅殺しの重罪人」というセリフは、低く重みのある声で発せられ、とても迫力があったため強く印象に残っている。さらに、舞台上の大きな転換や役者の決めポーズの場面では「ボーン」という鐘の音が鳴っていて、重要な場面であることが強調されていた。勘平が死ぬ直前にも鐘の音が鳴り、またその直後の魂が抜けていくような繊細な表情がとても印象的だった。空を見上げながら目を細める姿は本当に命が尽きる瞬間のようで、役者の表現力の高さに感動した。
(中略)今回の鑑賞を通して、同じ楽器でも音の強弱や速さによってさまざまな感情や情景を表現できることが分かった。また、セリフや歌い方の違いによっても人物の感情を観客に伝えることができることを学んだ。私はこれまで音は演技を引き立てるためのものだと思っていたが、実際には音そのものが物語を伝える大切な役割を担っていることが分かった。(O.T.さん)
この場面の演出で一番すごいなと感じたのは、音が突然消える瞬間(静寂)の使い方です。物語の前半、山道で勘平が暗闇の中でイノシシを狙って鉄砲を撃ち、手探りで獲物を探したら、手触りで見知らぬ人間の死体に触れてしまった瞬間にびくっとしたときや、お金をその死体から盗むとき、神仏にお祈りをしている場面で、それまでは鳴っていた雨や三味線の音が急にパッと止まりました。この無音になった瞬間は、劇の中の時間が止まったような強いインパクトがありました。音が消えることで、必然と観客の情報は舞台上の人物だけになるので、意識が舞台の上の人物にぐっと集中し、とても劇に引き込まれました。
自分が撃ち殺した人間だけではなく、そこにまだ別の人(生きてる目撃者)がいるのではないか、と思い逃げ出した場面では、人が恐怖やショック、焦りを感じた瞬間にパニックになりすぎて周りの音が一切耳に入らなくなる(頭の中が真っ白になる)心の状態、まさにこの無音の心理を捉えていると感じました。音が消えた静かな空間の中で、それまでしていたいのりをやめていまいるな場所から動き出すという流れは、勘平が覚悟を決めて一線を越えてしまうというシーンを、あえて音を消すことで逆説的にリアルに表現しているのだと考えました。静かなこのシーンでは緊迫感が感じられました。
また、劇中で鳴る三味線は、登場人物の気持ちや状況に合わせて細かく弾き分けられていて、劇の立体感を感じました。例えば、勘平が家に帰った後、おかややおかるが嘆き悲しむ場面で流れる、トボトボとした細くてたよりない三味線の音は、ただ悲しいだけでなく、武士の社会の厳しいルールに巻き込まれて振り回される、女性たちの無力さや弱さをかわいそうに引き立てています。一方で、勘平の様子がおかしいと気づいた瞬間や、何か怪しいと感じる場面での、少し音程が狂ったような不気味で変な三味線の響きは、聞いていてゾクゾクするような不穏な空気を作っていました。登場人物の「何かがおかしい」という恐怖が、そのまま音になって客席に伝わってきました。
(中略)歌舞伎(『仮名本忠臣蔵』)の音の演出は、ただ舞台を飾るためのもの(BGM)ではなく、登場人物の目に見えない内面や焦燥感、驚き、そして緊迫感をリアルに描き出すための、とてもよく考えられた演出だと思います。風の音を鳴らしたり、足音を際立たせたり、時には無音にすることで、観客に登場人物の心情を分かりやすく伝わってきました。目で見える演技だけでなく、耳から入る音の力で私たち観客の心に直接訴えかけてくる演出があるからこそ、歌舞伎は今でも世界中の人から愛され続けているのだとおもいます。(S.M.さん)
三味線の緩急によってそのシーンの重要さや雰囲気が伝わり、飽きることなく鑑賞することができた。登場人物がセリフを言って三味線がジャンッとなることで、それが決めゼリフであることを示し、さらに無言の間が埋まって物語の流れが途切れないようになっていたと感じた。一方で、重要そうな場面でも音楽がない無音の時もあり、そのような場面では役者さんの声や表情により惹きつけられた。そのことから、去年国語の授業で読んだ「間の文化」という評論文を思い出した。そこには日本の伝統芸能は音の絶え間も大事にしていると書いてあった。歌舞伎の音楽はあえて音を出さないことでもストーリーや登場人物を強調して印象的にしているのだと再度実感できた。
(中略)小野定九郎が与市兵衛を殺して50両を手に入れたシーンでは、ひぐらしの鳴き声のような三味線の音がして、山賊に落ちぶれた定九郎の孤独や虚しさを感じられた。また、この定九郎の行動が後々大変な事態になってしまうことを暗示していたのだと思った。 第六段目の勘平と身売りの証人である源六が喧嘩をしそうな場面では、三味線の力強い演奏によって緊張感や緊迫感が生まれていた。勘平が自分が殺してしまったのは与市兵衛だという事実に気づく場面では、三味線を強く弾くような硬い音色によって衝撃の大きさが伝わってきた。同じ三味線でも鋭い緊迫感のある音色とBGMのような優しい音色が使い分けられていて、表現が豊かだなと思った。さらに、別れの場面では高い三味線の短い音が涙を表しているように感じられ、自分も悲しい気持ちになった。勘平が切腹をして死にそうになっている場面では、鐘の重い音が響いていたため、勘平の命と周りの人が彼と話せるタイムリミットが刻々と近づいてきていると感じた。前の人の頭で舞台があまり見えない時が少しあったが、音があるおかげでその場面の雰囲気や登場人物の動作を聴覚だけでも感じることができた。
(中略)歌舞伎では音楽や効果音が場面の雰囲気づくりだけでなく、登場人物の感情や物語の展開を観客に伝える重要な役割を果たしているのだと感じた。このレポートを書くために音に注目して鑑賞したことで、視覚で得られる表現だけでなく、登場人物の心情や場面の状況、物語の展開などを詳しく感じ取ることができた。(S.S.さん)
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